人生の学びや教訓はない。それでもこの本には当時の自分を感じた【ネガティブハッピーチェーンソーエッヂ】

本のお話
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読書をするようになった高校時代

趣味は読書と言っている自分ですが、その習慣がついたのは高校生の時です。

当時、料理人を志して地元のイタリアンでアルバイトに奔走していました。

週5、6でがっつりとアルバイトを入れて、学生なりに多忙を極めていたのですが

ある日、珍しく3連休の時がありました。(学校は普通にあった)

その連休が、当日急に決まった嬉しさから

「放課後に何かいつもと違うことをして、有意義に過ごしたい!」

という思いで、本屋で文庫本を3冊購入して、自宅に帰りました。

読んでみると、意外にも読書に集中することができて、その日のうちに1冊を読み終えることができました。

それ以来、本を読む習慣がついたというのが始まりです。(どんなきっかけなんだか…。)

今回は、そんな当時を思い出しながらその時に読んだ本を一つ紹介、解説をしようと思います。

その本のタイトルは

「ネガティブハッピーチェーンソーエッヂ」

出典 KADOKAWA文庫HPより【https://www.kadokawa.co.jp/product/200402000491/】

この記事のタイトルにもありますが、私としてのこの本の感想は

「人生の学びや教訓はない。それでもこの本には今の自分を感じた」でしょうか。

無意味、無駄、無個性、惰性の中で小さく輝く光。

私にとってはそんな物語でした。

簡単にあらすじ

まずはこの本のあらすじを

「ごめんなさい。やっぱり私はあいつと戦います」平凡な高校生・山本陽介の前に現れたセーラー服の美少女・雪崎絵理。彼女が夜な夜な戦うのは、チェーンソーを振り回す不死身の男。何のために戦っているのかわからない。が、とにかく奴を倒さなければ世界に希望はない。目的のない青春の日々を“チェーンソー男”との戦いに消費していく陽介と絵理。日常と非日常の狭間の中、次第に距離が近づきつつあった二人に迫る、別れ、そして最終決戦。

本書背表紙より引用

はい

とんでもねぇ設定ですね。

漫画とかアニメの設定ですね。

今だったらラノベに分類されてるんでしょう。

主人公の陽介は万引きの常習犯だったり下宿所でタバコ吸ってたりと、軽い性格で素行に問題アリ高校生です。

突き抜けたものがあるわけでもなく、北海道の高校で無気力に過ごしています。

一方のヒロインである絵里は、女子校に通う真面目で清楚な黒髪ロングの美少女

しかし夜になると、街に出没する不死身のチェーンソー男と戦いを繰り広げています。

ある夜、陽介はスーパーで万引きした後の帰り道にチェーンソー男と絵里に遭遇します。

万引きというのが小物感を際立たせてますね。

チェーンソー男は深々とフードを被り、感情のない顔はぼやけて認識ができません。

そんな状況にも物怖じせず、人間離れした身体能力でチェーンソー男を退ける絵里を見て、陽介は強引にチェーンソー男退治の手伝いを申し出ます。

そこから夜な夜な繰り広げられる2人のチェーンソー男との攻防

陽介は絵里に、なぜチェーンソー男と戦っているのかと聞くと、絵里は

初めて出会った瞬間「こいつは倒さなきゃいけない奴なんだ」と感じ、気付いたら信じられないパワーが出ていた

とよくわからない説明をします。

徐々に陽介と絵里の仲が深くなっていくにつれて、チェーンソー男に対して優勢になっていく2人

陽介は退屈な昼の学校生活と、夜の命がけ勝負の日々に充実感を覚えていきます。

そんな中、突然親から知らされる陽介の転校、引越し。

自身の転校が決まり、優勢だったチェーンソー男との戦いも一転して劣勢になっていたことで、陽介は絵里にこれ以上チェーンソー男に関わらないよう説得します。

渋々陽介の願いを受け入れた…かに見えた絵里。

ですが、後に絵里は結局一人でチェーンソー男に向かっていってしまいます。

それを知り、パターンがあるチェーンソー男の出現ポイントをしらみつぶしに探す陽介。

残された時間はわずか、残りの出現ポイントは2つ

陽介は間に合うのか?

そしてチェーンソー男、絵里と対峙した時、陽介は何を思い何をするのか。

…..

……

というようなお話になっております。

それぞれの幸せ【戦う理由の違う二人】

一緒に行動を共にする陽介と絵里ですが、行動は一緒でもその動機は異なります。

絵里はチェーンソー男を「倒すこと」を目的としています。

対して、陽介はチェーンソー男と「戦うこと」を目的としています。

両親を事故で亡くし、孤独になった絵里にとって、両親の葬儀の帰り道で遭遇したチェーンソー男は憎むべき、倒すべき絶望のような存在でした。

親友を自殺まがいで不可解な交通事故で亡くし、途方に暮れて無気力な生活を送っていた陽介にとって、チェーンソー男は味気ない日常から引っ張り出してくれる希望のような存在でした。

倒すべき絶望と、戦うべき希望。

相反する思いで、2人はチェーンソー男に対峙しているのです。

「この世は生き地獄、普通からは逃げられない」

最終決戦において、陽介はチェーンソー男の中に今は亡き親友の姿を見いだします。

「この世は生き地獄、普通からは逃れられない。愛する人とはいつか離れる定め。」

というような言葉と共に。

「普通になりたくない」

思春期真っ只中の若者。その多くが抱くような感情ではないのでしょうか。

しかしそんなありきたりな感情にこそ、親友の絶望があったんだと思います。

とても幸運なことに、至極平和で生きていくことが比較的困難ではないこの国で

決められたカリュキュラムをこなして、微妙な差はあれど大した違いなんかない大人へとなっていく。

急な展開、ドラマ、ファンタジーは起こってくれない。

生温い幸せを、普通を受け入れて、不運の主人公にはなれない。

そんな、少年にとっての絶望が自殺まがいの交通事故を起こさせたのだと思います。

親友のことを、陽介は「勝った」んだと表現しています。

彼にとってもまた、この世は惰性な絶望だったのです。

チェーンソー男に突っ込みながら陽介は懇願します。

「お前こそが俺の希望、俺の願いはわかってるだろう?どうか、どうかこの俺を…」

「殺してくれ」

陽介もまた、この世に反抗して「勝とう」としました。

そんな陽介を、意識の奥深くで親友はさらっと拒みます。

「お前はこっち側には来れない」と。

陽介が目を覚ますと、そこには横たわる絵里。

チェーンソー男はいません。

うなだれる陽介は叫びます

「ふざけんな」

「ふざけんなよ」

「なぁ」

生きてる俺が羨ましいんだろ!!!!」

自分を感じた高校生

何度か先述しているように、私はこの本に自分を感じました。

学校を卒業し、いずれは自分も社会の仕組みの中で歯車を動かす一つのパーツになっていく。

それはどんな変わった経験や、偉業を成し遂げたことで根本的にはなにも変わりはありません。

学生という、ある意味自我がしっかりした上で甘えの環境にいられる時期はもうすぐ終わりを迎えます。

「普通になりたくない」という思いから、だんだんと「普通」を受け入れていくようになるそのはざまで、最後に精一杯足掻いて見せるのです。

私自身、高校生なりに「責任もなく、好き勝手やって楽しく時期はここまでなんだろう」という思いがあり、残りの高校生活はとにかく楽しいことを追求しようと思って生活していました。

楽しそうなことがあればどんどん飛び込んで行こう、と。

そんな時にチェーンソー男、そしてそれに立ち向かう美少女が現れたら…。

目の前に繰り広げられる漫画、アニメの異世界。

ファンタジーの戦いの末に繰り広げられるボーイミーツガール。

飛び込んでみたいじゃないですか。加わってみたいじゃないですか。

チェーンソー男が何者か、なぜ、どうやって現れたのか。

チェーンソー男と戦っている時だけ絵里が驚異的な身体能力を身につけるのはなぜか。

作中ではそういったことは明かされません。

それはきっと、この作品において、そんなことはどうでもいいからでしょう。

大人になって考える普通

私がこの本に出会ってから、10年以上の時間が経ちました。

就職をして、結婚をして、まもなく子供が産まれようとしています。

学生の頃に漠然と考えていた「普通」を過ごす、今となって感じているのは

「普通」と一括りにするにはあまりに多彩で、自由で、それでいて面白い。

ということです。

抗おうとする若さも綺麗ですが、その環境に対応して、逆に利用してやる強かさもまた綺麗です。

私はこの「普通」を利用して、楽しく幸せになってやろうと思います。

至極普通の高校生として、絵里と結ばれるであろう陽介のように。

「ネガティブハッピーチェーンソーエッヂ」の解説でした。

では

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